世界を旅する(冒険)

タイバンコク、微笑みの国で家族みんなが住みたくなった

タイに住みタイ。そう思うほど家族みんな大好きになった国だ。とにかく人が柔らかくて、笑顔が多い。「微笑みの国」と呼ばれている理由がわかった。

公園で広がる子供たちの笑顔の輪

子供たちと公園で遊んでいると、地元の子供たちが自然と集まってきて、気づけば一緒に鬼ごっこが始まる。言葉は通じなくても、お互い日本語とタイ語で成り立つ。さらに若者が「サッカーやろう」と誘ってきて、大人も子供もみんなでボールを蹴る。おじいちゃんは笑いながら「転んで頭を打つなよ!」と声をかけてくれる(たぶんそう言っている)。

子供たちは観光地よりも公園のほうに行きたがり、タイの学校が終わる午後4時には公園でスタンバイするようになった。仲良くなった小学4年生のあだ名は「ジャガイモ」。理由はシンプルに「顔がジャガイモっぽいから」らしい。さすがに酷くないかな?

「気持ちだから」ートゥクトゥクの運転手ウィチャイさんの優しさ

他にも心に残るタイの人の温かさがあった。トゥクトゥクの運転手ウィチャイさんは、子供たちが暑そうにしていると冷たい水を6人分買ってきてくれた。チップを渡そうとすると胸に手を当てて「気持ちだから」と受け取らない。ベトナムでスキあらばぼったくろうとする人たちと交渉してきたから、ウィチャイさんのその姿勢に家族みんなで感動した。

また、娘の誕生日にテラスで歌っていると、向かいの子供たちも一緒に「ハッピーバースデー」を合唱してくれた。相手の親もその様子を温かく見守っている。娘は大喜びだった。しかもよく見ると公園でいつも遊んでいる子だった。

そして、レンタカーで間違ってETCレーンに入って渋滞を起こしても、係員も後ろの車の運転手も笑顔で対応してくれる。クラクションすら鳴らない。慣れない海外運転だったけど、譲ってくれる人多いから運転しやすかった。

タイの人が穏やかな理由

もちろん出会った人全員がこんなに穏やかなわけではない。それでもタイの人の持つ余裕と寛容さに感動することが多かった。なぜタイの人はこんなに穏やかなのだろうか?タイの人の穏やかさや寛容さを考えると、次の3つが大きいように思う。

① 歴史的背景

タイは東南アジアで唯一、欧米の植民地支配を免れた国だ。イギリスやフランスとうまく外交し、独立を保ってきた。だから東南アジアの他の国と比べると「支配から解放されるために必死で闘ったり働く」という歴史を持たない。その影響なのか、街でも田舎でも昼寝するのんびりおじさんをよく見かける。トゥクトゥクの運転手は友達と寝そべって客引きをする気がなかったり、公園や屋台の人がベンチでゴロゴロしていたり。でもそれは「ホームレス」ではなく、働く合間にゆったり休む自然な光景という感じがあった。沖縄も割とゆったりしてると方だと思ったけど、それ以上にゆったりだ。

② 気候と風土

タイの気候は意外と過ごしやすい。日差しは強いが、湿気は少なく、木陰に入ると快適。洗濯物は夜に干せば朝には乾く。蚊も小さく弱い(沖縄: ヒトスジシマカ、タイ:ネッタイイエカが多い)。ただし、デング熱やジカ熱のリスクを持ち、社会課題のひとつになっているらしい。

家の玄関は鉄格子と網戸だけで風通しが良く、向かいの家の生活は丸見え。子供に絵本を読んで寝かしつけている姿まで見えるくらいオープンだ。これはたぶん借りた家の地域がそこそこ良い層の家だったからかな?どちらにせよ思った以上に過ごしやすい気候とオープンな人々であった。

さらに肥沃な大河・チャオプラヤ川やメコン川があり、食料も豊富。稲作が盛んで主食のお米は5kgで約1,000円。物価は日本と変わらないが、主食が安くて食べ物に困らない安心感が、人々の穏やかさを育んでいるのかもしれない。

③ 仏教の影響

タイを旅して驚いたのは、お寺の多さだ。都会でも田舎でも必ず家の近くに寺院があり、人々は日常的に通っている。僧侶は尊敬され、托鉢の姿も自然に溶け込んでいる。

タイの仏教が大切にしていることは、

・煩悩を克服して悟りに近づく

・仏法を学び、実践する

・功徳を積み、人の支えになる

特に「一度は出家する」という習慣は特徴的で、短期間(3か月が伝統的な出家期間)でも子供が僧侶になることは親にとって大きな誇りになるそうだ。だから「かつて僧侶だった人」が多く、落ち着いた人が多いようだ。ちなみに出家の経験がある人は就職に有利なのでみんな出家経験が欲しいらしい。煩悩とはなんぞや?と思った。さらに出家の経験ある人は女性から落ち着いている人と思われやすく、モテるらしい笑。煩悩とはなんぞや?最後に出家経験者の中には出家したことがあることを道具にナンパするやつまでいるらしい。もはや煩悩しかない気がする。

また、挨拶のときにする「ワイ(合掌)」も印象的だ。敬意と感謝を込めて合掌する仕草は、仏前だけでなく日常の「サワディーカ(こんにちは)」や「カップンカー(ありがとう)」にも使われる。私はその動作が気に入り、ほとんどの写真をワイで撮った。動作それ自体がこころの表れだからだ。

豪華な寺院と煩悩のリアル

一方でお寺は信仰の場であると同時に、大きな観光ビジネスでもある。豪華絢爛な寺院、500バーツ(2500円)の入場料、金や宝石で飾られた仏像。僧侶は毎朝「宝石が落ちていないか」を確認していると聞いた時は笑ってしまった。

他にもアユタヤでは像使いの言うことを聞かない像がカマのような道具で頭をグサグサ刺されていた。

タイ仏教には煩悩とは何かをたくさん考えさせられた。まあ、そんな肩肘張らない感覚もまた、タイの『マイペンライ(何とかなるよ)』精神かもしれない。人々は僧侶だって人間だし仕方ないと思っている部分があるのかもしれない。

独立・風土・仏教が育むタイ

こうしてみると、タイの人々の穏やかさは、

・独立を保ってきた歴史

・食料や自然に恵まれた風土

・生活に根付いた仏教文化

この3つが絡み合って育まれているように思う。

もちろん全てが良いところばかりではない。厳しい経済格差も見え隠れする。豪華なモールのすぐ裏や高速道路の下にスラム街があったりする。街は高級住宅街と一般住宅街とスラム街に分かれている。クロントイ・スラムという大規模なスラム地域もある。そして、僧侶は割と煩悩丸出しだったりする。

それでも子供たちはタイが大好きになり、長女は「沖縄より好きかも」とまで言った。子供たちにとってはタイで友達が出来たことが何より嬉しくて、将来ここに住みタイらしい。家族みんなが好きになったタイでした。

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